今日は娘の運動会でした。
娘は、緊張のあまり、家と、車の中と、幼稚園で、もどしてしまいました
負けん気が強く、そのくせ走るのが速くない娘にとって、今日の徒競走は、自分の人生で一番最初にぶつかった壁だったのかもしれません。
もどして、熱を出して、それでも娘は走りました。徒競走には負けましたが、走りきった娘は人生の最初の壁を越えたのだと思います。
6才の娘にとっての今日の運動会ほど大きな出来事が、今の自分にあるでしょうか。そこまで悩むことが、正面からぶつかっていったのはいつのことでしょうか。
今日は娘の走る姿から、毎日に流されないで生きようと思い返し、娘から学んだ(親ばかな)父親でした。
ところで、運動会には、多くの両親あるいは祖父母がカメラやビデオカメラを持参しています。自分の子供が駆け抜けていくとカメラやビデオカメラのレンズがそれを追っています。
自分が子供の時は、自分が走るにつれて流れる拍手のウェーブがありました。でも今は、カメラやビデオカメラが、そんな拍手や応援の声や眼差しを奪ってしまっています。誰かがこけて、起きあがってもう一度走り出しても、カメラやビデオカメラを撮っている人はそれを見ておらず、拍手や応援もありません。
走っている子供にとって、背中を後押ししてくれる会場中の拍手や応援と、家に帰ってからビデオで見る自分の姿と、どちらが本当の思い出になるのでしょうか。
私のサヘルの思い出は、(人に説明する時には写真やビデオがあると便利だけれども)、自分にとっては心の中に刻まれているイメージ、そしてなによりも出会った友人たちで作られていることを改めて感じた運動会でもありました。
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