4月5日に書いたギニアの地図作りの物語、プロジェクトX「地図のない国 執念の測量1500日」を見ました。
1980年代、自分が20代の頃は本当に地図のお世話になりました。
私が使っていたのはフランスが作った地図でしたが、あのサハラ・サヘルの地図の1枚1枚を作る時にもきっと大きな労苦があったのでしょうね。
20年前に使っていた地図を引っ張り出してきて懐かしく眺めました。
1.移動のための地図
サヘルで一番初めに使ったのは、ミシュランのNo.153(後のNo.953)の西アフリカの地図でした。
旅人として、この4百万分の1の地図を頼りに北アフリカ・西アフリカをあちこち移動しました。
ヒッチハイクにはこの地図で十分でした。
この頃は移動すること自体が半ば目的で、地図上に自分の移動した軌跡を書き込み、それが増えていくのが楽しみでした。
その後、モーリタニアからマリをラクダで旅をした時は、フランス国土地理院(L'Institut Geograhique Nationale : IGN)の20万分の1の地図を使いました。
当時は、西サハラの紛争がまだ激しく、地雷が埋まっていたり、井戸に毒が入っているところもありました。
そのため、近くまで行ってみないとその先に行けるかどうかわからない地域があり、危険が大きい場合は大きく迂回しなければならなず、可能ならモーリタニアから直接アルジェリアへ、だめならマリへというルートを考え、モーリタニアについては全域の地図を用意しました。
それにアルジェリアの南部、マリ北部、さらにその先のニジェールとチャドもあわせると手持ちの地図は何十枚にもなりました。
多くの地図は、1950年代から60年代に作られたものでした。
この旅では、地図への書き込みは決して目的ではありませんでした。
地図の利用と書き込みは、自分の今いる位置を確かめ、生き延びるために目指す次の井戸、人の住むところへ辿り着くための作業でした。
この旅で、サハラ・サヘルに暮らす人々と時間を共有する中で、彼らのこと、その暮らしをもっと知りたい、その自然の中で暮らしたい、という気持ちが次第に強くなっていきました。
サハラ横断という移動を目標にしながら、歩いた軌跡を地図の上に引くことに意味が次第に見いだせなくなっていきました。
当時はまだ、ラクダに乗って使えるようなハンディタイプで電源を必要としないGPSがありませんでした。
そのため自分の位置を割り出すのに、地図上に目視点があるところではコンパスを使った三角測量を行いました。
そして目標物のないところでは、六分儀を使いました。
六分儀は、水平線と天体(太陽、月、星)から自分の緯度・経度を割り出す装置です。
船乗りが使っている様子を映画などで見られたことはありませんか。
しかし、砂漠での六分儀の利用にはいくつも問題がありました。
まず、砂漠に水平線がありません。
地平線は必ずしも水平位置にあるとは限りません。
そこで、人工的に水平線を作り出す方法を考え出しました。
平たくいえば、お椀に水を張って、そこに映った天体と実際の天体の角度を測ったわけです。
水面に映る天体と実像の角度×2分の1=水平線と天体の実角度、ということです。
ただし、これだと120度まで測れる六分儀でも、その2分の1、つまり60度までの高度のしか計れません。
そして地平線に近いところでは厚い大気の層で角度が狂うので、実際に使える天体は非常に限定されました。
お椀の水は風が吹けば揺れます。
さらに、側対歩(左前と左後ろ、右前と右後ろと、同じ側の前後肢を同時に動かして歩く)で走るラクダは震動が大きく、使う度に六分儀の誤差修正の作業が必要でした。
六分儀の使用は本当に大変でした。
今では、もう六分儀を使った計算方法も忘れてしまいましたが、TAMAYAの六分儀の感触はまだ手に残っています。
(TAMAYAには六分儀からの座標計算に使う航法計算機でもお世話になりました)
2.暮らしのための地図
ラクダの旅を中断し日本に帰った後、NGOのスタッフとしてマリに戻った時には、村作りの活動のためにラクダの旅で使った地図を再び使いました。
しかし20万分の1の地図では地域の様子がつかみきれません。
そこで、村の地図を自分で作りました。
その後、調査でマリに行くようになった頃にはGPSが出始めていたので、GARMIN のGPSを買い、パソコンにデータを落として、家畜の移動図や村の地図を作ったりしました。
プロジェクトX「地図のない国 執念の測量1500日」で言われていたとおり、地図作りは、本当に国作り、村作りの基礎だと思いました。
使い方を学ぶと、地図は本当に役に立ちます。
地図をじっくり見ているだけでも、等高線、涸れ川などから、農業に適した場所や家畜に食べさせる草木の生えていそうな場所がある程度わかります。
さらに、村毎に立つ市の順番、季節的な湖沼や井戸の位置、季節的な風の方向、草木のたくさん生えている場所などを書き込んでいくと、地域社会の力関係、様々なものの流れ、家畜の季節的な移動の仕組みまで生き生きと見えてきます。
自分の目で暮らしを見て、それを地図に書き込み、もう一度暮らしを見ると新しい発見がたくさんありました。
精密な地図でなく、地域の人々の主観的な地図でも、村作りにはとても役に立ちます。
それは書き手の地域観を如実に表しています。
村人が地図を作る過程や、できた地図を批評する作業は、村の問題や特徴を村人自身に再確認させ、課題解決のヒントも与えてくれます。
このように、NGOや調査活動を通して地図を作る過程の大切さも学びました。
「地図のない国 執念の測量1500日」も、国土図という成果も素晴らしいけれども、地図を作る過程のスタッフの努力がギニアと日本の絆を作ったのだと思いました。
(2003.4.9改)
サハラでは、星を使った、ナビゲーションを使っているのでしょうか?
以前、ミクロネシアに滞在していた時、スターライト・ナビゲーションを少し教えてもらった事があり、北極圏などで、応用しました。サハラなどの、ものすごく広い視界の所では、きっと、星を使った、ナビゲーションが、あるのでしょうね。
今の時代、GPSが普及していますが、自然を利用して、古くから人々は、正確に、ナビゲーションしていたのでしょうね。その土地の、伝統的な知恵には、驚くべきものがあるような気がします。
六分儀は、正確な地平線がないと、大変でしょう。以前、友人から、計算上で、水平を出す技を教えてもらいましたが、六分儀を使わなくなってから久しく、もう、ほとんど、忘れてしまいました。
地図がない時代にも、知恵を持っている人たちの、ナビゲーション能力は、きっと、高度だった事でしょうね。
投稿情報: himalaya | 2004年3 月 4日 (木) 13:43