私たちが物事を正しく判断するために培ってきたはずの知識、経験、常識が、サヘル地域の自然や社会を理解する時に、私たちの目を曇らせてしまうことさえあります。
例えば昨日は、四季という季節変化の体験・知識から、サヘル地域の自然の変動を、安定して1年サイクルで繰り返すと考えてしまいがちなことをあげました。
アメリカ合衆国が、9月11日直前に警戒レベルを上げ、最近警戒レベルを下げたという報道を聞いていて、そこにも同じような常識の陥穽を感じました。
本来ならもう少し前から警戒レベルを上げるべきではなかったのでしょうか。
イスラムの暦は太陰暦です。
その1年の長さは、西暦(グレゴリオ暦)より10日ほど短いものです。
西暦2001年9月11日はイスラム暦(ヒジュラ暦)1422年Jumad al Thani(第6月)22日でしたから、イスラム暦でその1年後は西暦2002年8月31日でした。
警戒レベルの変化は、高度な情報収集や状況分析の結果によるものだったのでしょうし、アメリカ合衆国国民にとっては8月31日よりも1周年の9月11日の方が大きな意味を持っていますので、確かに危険度のリスクはこちらの方が遙かに高かったのでしょう。
しかし、相手側のものさしで状況を分析することもとても重要なことではないか、この点を指摘した報道が少なくとも私の耳には聞こえてこなかったことは不思議ですらありました。
アフリカのある国に国際開発に出かけた西欧のある女性が、現地の同僚と地方での活動のため、ある朝待ち合わせをしました。
約束の時間になってもその国の同僚がやってきません。
彼がやってきたのは、約束の時間の2時間も後でした。
彼女は「遅いじゃないの!」と一言いうと車に乗り込みました。
彼は一言も口をききません。
彼女も怒ってそれから一言も口をききませんでした。
そしてそのまま目的地に着いてしまいました。
彼女は、そこで待っていた人たちを見るや否や、遅れたわけを説明し、彼への不満もぶちまけました。
しかし、そこに待っていた人たちは、「あなたが怒っているのもわかるが、彼が怒っているのももっともじゃないですか」と言いました。
彼が自分に謝りこそすれ、あんなに無愛想にしている理由なんてないと思っている彼女は驚きました。
人々は言いました。
「あなたは彼に会った時に、挨拶しなかったじゃないですか。そして私たちにも」
「彼も私もけだものじゃないんですよ」
ものさしの違いは、時として大きな誤解を招いてしまうようです。
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