娘のクラスには、娘のほかに、片親が日本人でない子がふたりいる。
そのひとりがMちゃん。
娘が言った。
「Mちゃんと私はお友だち。外人だから」
たくさんのことを考えた。
・外人という表現
・自分が外人という意識
・外人同士だから友だちという認識
しばしば「外人」ということばには、ほかの国にない疎外感があると言われる。
しかし娘にも、クラスの子供たちにもそんな意識は今のところまだないだろう。
外人ということばの扱いは、娘がもう少し大きくなって、疑問や問題意識を持つようになってから話し合えばいいと判断した。
しかし、自分が外人だという意識については何か言いたかった。
「あいちゃんは、なに人かな?」
「日本人とアフリカ人」
「そう、日本人とマリ人だね」
「パパやママやほかのお友だちはひとつしかないけど、あいちゃんはふたつも持ってるんだよ」
それを聞いて娘は嬉しそうに笑った。
「だからあいちゃんは、日本人で外人だね」
ふたつの国籍の間に生まれた子供をハーフと呼ぶか、ミックスと呼ぶか、ダブルと呼ぶか。
意識したことはあるがこれまで正面からそれを考えたことはなかった。
しかし今日、6歳の我が子にわかりやすくその認識を伝えたいと思った時、私はダブルという考え方を選んだのだと思った。
「Mちゃんは、あいちゃんのほかにもお友だちいる?」
「うん、Kちゃんでしょ、Nちゃんでしょ・・・」
「あいちゃんも、AちゃんとSちゃんと・・・いっぱいお友だちいるよね?」
「うん」
「KちゃんもNちゃんもAちゃんもSちゃんも外人じゃないよね」
「うん」
「じゃあ、Mちゃんもあいちゃんも、外人だけが友だちじゃないよね?」
「うん」
「なに人でも、やさしい子がお友だちだよね」
「うん」
サヘルでは、娘の幼稚園にはさまざまな民族・人種の子供たちや先生がいた。
両親の民族・人種・言語が違う子供も大勢いた。
だから娘がそれを意識することはなかった(もちろん年齢的な理由もあったろう)。
外人ということばも考え方もなかった。
しかし日本の状況はまったく違う。
その事実を、娘の発言からいろいろなことを考えさせられる。
世の中には、いろいろな「個性」を持った人たちがいる。
いろいろな「個性」があるから世の中が成り立っている。
なに人かとは関係なく、同じひとりの人間として相手を見て、「個性」としてこのことを考えられるようにしていきたい。
はじめまして♪
エッセイ読ませて頂きました。失礼ですが、お子さんは今いくつなのですか??私は今年25になるハーフです。一昨年にネットを初めるまで日本は変わったと思ってました。「外人」という言葉の認識が改善されてた思ってたんです。しかし、実際は違うんですよね。
僕はネット社会の中でも変わってない「ハーフ」に対する誤解をなくすために、昨年からHPを運営しました。HPには25年間ハーフとして生きてきて、その中で考えたことについて書いてます。
もし宜しければ一度ご覧になって下さい。訪れた際に何かコメントを残して頂けると幸いです。
投稿情報: Nikolaus | 2003年7 月 5日 (土) 10:50
Nikolausさん、こんにちは
娘は6才です。
「外人」「ハーフ・ダブル・ミックス」については、これまで生活の基本を海外においていた私たち家族は、今ようやく考え始めたばかりです。
まだ、明確な主張はありません。
ただ思うことは、なに人かとは関係なく、その人そのものを知って付き合っていきたい、そうやって付き合って欲しい、ということだけです。
これから日本で暮らしていく中で、きっといろいろな状況にであうことでしょう。
そういうことがあったら、ぜひこのサイトで書きたいと思います。
時々立ち寄ってみてください。
サイトはすでに訪問させていただいたことがありますよ。
また時々お邪魔させていただきますね。
投稿情報: jujube | 2003年7 月 5日 (土) 16:43
また来ました☆
HPは以前にも訪れていただいてたんですね。驚きました!?
娘さんは小学1年生くらいですかね?これからが大変かもしれません。私が一年生だった18年前(前回阪神タイガースが優勝した時期)は先生たちは試行錯誤の繰り返しでした。みんな戸惑ってましたね。
地域によっては今もハーフ(ダブル)の子が入ってくるのが初めてだという場合もあると思います。私はまだ子供はいませんが、もしいたら学年ごとに担任と話をしたいと思ってます。自分の子供だけを特別扱いするのは良くないとは思うのですが、子供が悩みを抱えるような環境だけにはしたくないと担任と話をしたいと思ってます。
また遊びに来ます♪
投稿情報: Nikolaus | 2003年7 月 5日 (土) 19:45
こんばんは。
夜眠れなかったので、見てみたらとても興味深いページと出会う事ができました★
私は父がロシア系のクウォータで母が日本人なのですが、19歳になった今でも悩み多かった子供時代から思春期は忘れられません。
私はハーフではありません。
いつも日本では、一言目に「ハーフ?」と聞かれるので、ちょっと日本人の(全部ではありませんが!)意識を疑ってしまいます。
父と母は離婚し、母は再婚し、私には純日本人の妹がいます。そのためか、いっつも居心地わる〜〜い思いで・・・混血とかミックスっていう言い方の方がしっくりときます。。
これからどんどん地球は一つになっていくと思うんです。毛や肌の色とか、生まれた場所ではなく、自分が何をし何を考えているかで人をみられるひとになりたいし、そういう人が好きです。
なんだか、まとまらない意見で、すみません!!
ただ、6歳のあいちゃんも色々なことを感じると思うけれど、皆一緒だよって言いたかったのです。・・・未熟な私ですが。
それでは、また遊びに来たいと思います^-^
投稿情報: sophia | 2003年10 月 6日 (月) 04:40
こんにちは。素敵なサイトをみつけました。
私は、アメリカ人(アフリカン・アメリカン/ネイティブ・アメリカン/ヨーロピアン・アメリカン)と日本人のハーフ/Multi-racial(多人種)です。私は日本で生まれました。アメリカ人の父は、生まれた時からいず(もちろん養育費もありませんでした。)、日本人の母親のみに育てられました。
18才まで日本の公立・私立の学校に通いました。この間、特に小学校中学年から中学校全体の期間に、ハーフ/Multi-racial として色々な経験をしました。「混血児」・「あいのこ」・「外人」・「黒人」・「くろんぼ」などと呼ばれたり、小学校全生徒・教職員700人程度の前で「私は、外人ではありません」と言わせられたり、ほとんどは男子生徒でしたが、ばい菌扱いをし、一緒にダンスをする時に、手をつなぐことを嫌がられたり、石を投げつけられたり、コソコソ話やジロジロ見られるなど。
父のことを知らない。父と英語で話してみたいという思いがあり、18才から、父の国アメリカに9年間留学をしました。アメリカでは、全ての人が私を私自身として認めてくれました。これは、日本での18年間では経験できなかったことです。この貴重な9年間があったおかげで、私は、自分というものを発見できました。
自分の父と母の国の両方で生活をしてみると、まず、自分の育った国を客観的に見るということが出来ます。また、自分が持っている良い/得な部分(こういう意味で、「ダブル」という言葉は、とても良く表現ができていると思います。)を発見することも出来ます。
ただ今、日本に戻ってきてから約8年が経ちます。今では、18才のころまで私が思っていた日本/日本人のイメージから、完全ではないけれども抜け出すことが出来ました。未だにコソコソ話やジロジロの対象にはなりますが、もう、アメリカで見つけ出した本当の自分が本来の自分だということが分かっているので、私は、どこの国にいても、この世の中の一人間として、自分らしく生きていこうと思いますし、他の方も同様の扱いをしています。まさに jujube さんの言う「ただ思うことは、なに人かとは関係なく、その人そのものを知って付き合っていきたい、そうやって付き合って欲しい、ということだけです。」と同感です。
1つ思ったのですが、娘さんに bi-racial (2人種)という言葉を教えてあげるのはどうでしょうか?私は、年齢のせいか、日本では、ハーフという言葉で満足をしています。しかし、ミックスという言葉は(jujube さんは、使っていませんね。)、結局は「混血児」という意味になりますよね。私は、「混血児」・「あいのこ」・「外人」・「黒人」・「くろんぼ」という言葉が好きではありませんでした。とても傷つく言葉でした。アメリカでは、自分の人種を表すのに、My father is...My mother is...、または bi-racial(2人種)、Multi-racial(多人種)、と言うことが多いです。たしかに、日本語で、「バイレイシャルなの。」とか「2人種なの。」とは、今のところ、あまり言いませんね。でも、私は、あえて、自分を「ハーフ、または Multi-racial (多人種)です。」と表現しています。
お子様がすこやかに成長されますように。
追伸:私のネイティブ・アメリカンとヨーロピアン・アメリカンのルーツは、すでに、ある程度知ることが出来たのですが、いまだに、アフリカン・アメリカンのルーツを知りません。私のご先祖さま達は、アフリカのどの地域にいた人達なのか興味深いです。(アフリカン・アメリカンのルーツは、かなり昔にさかのぼるので、今のところ1700年代までの家計図はあるのですが、さすがにご先祖さまのご先祖さまがアフリカのどこから来たのかは、不明です。)
投稿情報: Felicity | 2005年9 月 7日 (水) 20:17
Felicityさん、
とても真摯なコメントをいただき嬉しく思っています。
私は、こういうコメントがいただけるから、ブログを書いているのかも知れません。
そして、こういうコメントから、妻や子供たちと日本で暮らしていく強さをいただいています。
bi-racialという言葉は、娘がもう少し大きくなったら、ぜひ教えてやろうと思います。
でもその意味するところは、私のブログ本文の説明と同じですよね?
それから、ハーフという言葉については、
「半分マリ人、半分日本人、あわせてひとりの君だよ」
と、娘は決して人の半分なんかじゃない、と繰り返し説明しています。
日本では(娘の学校でも)一番よく使われる言葉ですから、その言葉に対して、決して卑屈にならず、誇りを持って受け止められるように育ってくれるよう願っています。
学校で、男の子から、ハーフとか外人とか、いろいろといわれることはあるようですが、負けずに言い返しているそうです(笑)
傷つくこともたくさんあるようですが、親として、できる限り、ありのままの自分自身に自信を持って生きて行けるよう支えて行こうと思います。
Felicityさん、また時々このブログに遊びにきてくださいね。
投稿情報: jujube | 2005年9 月 7日 (水) 21:26
jujube さん
私のコメントを嬉しいと思っていただけて、こちらこそ本当に嬉しいです。
jujube さんがおっしゃっている、「bi-racial」 という言葉が、jujube さんのブログ本文の説明と同じというのは、「ダブル」という言葉と同じという意味でしょうか?
もしそうでしたら、私は、少し違った意味で bi-racial と言っています。英語でいう bi-racial とは、2人種という意味ですので、どちらかというと、日本語で言うハーフという言葉を指しています。英語には、そもそも、人間をダブルと言う観念がありません。この観念は、ハーフという言葉に偏見/劣等感を持っている親かハーフ自身が作り出した言葉だと思います。英語での、I am half ○○-half ○○ とは、けっして自分が人の半人前という意味の言葉ではなく、どちらかというと、my father is ○○ and my mother is ○○ という言葉の延長です。最近になって、それを人の半人前ととるハーフの親やハーフ自身が出てきたので、日本では、「ダブル」という言葉や「ミックス」という言葉が出始めたのでしょうね。昨日も書きましたが、アメリカでは、自分の人種を表すのに、My father is...My mother is...、または bi-racial(2人種)、Multi-racial(多人種)、と言うことが多いです。そして、jujube さんが娘さんにハーフという言葉に誇りを持つことを教えていらっしゃることを尊敬します。「私の父は、アメリカ人で、私の母は日本人で、私は2人の娘の Felicity です。」
ここでですが、私の話しになると、確かにダブル(ミックスは、昨日も言ったように、私には抵抗のある言葉です。アメリカでも、「本当にミックス(混血児)って呼ばれてもいいのか?」と聞かれるほど、差別用語的になっています。)でもあるのです。それは、父がアメリカ人で母が日本人だからです。でも、人種で考えた場合、私は、多人種なのです。父にアフリカン・アメリカン/ネイティブ・アメリカン/ヨーロピアン・アメリカンの血がほぼ均一に入っていて、私には、日本人の血も入っているからです。こういった場合、どうでしょう?私は、ダブルとは言えません。4人種以上なので。私の父の場合はどうでしょうか?3人種以上です。それをトリプルというでしょうか?(アメリカでは、言いません。)これから、多人種も多くなるであろう日本、ダブル・トリプル・それ以上はなんというのでしょう・・・という観念は、そう長くは続かないのではないのでしょうか。それよりも、アメリカで既に使われている、bi-racial, Multi-racial という言葉が定着すればいいなと個人的に思います。確かに、「ダブル」と比べて「バイレイシャル」「マルタイレイシャル」は、日本語にすると長くて呼びづらいものになりますが。
そのような意味で、私は、アメリカ人と日本人のハーフであり、人種的に Multi-racial (多人種)と表現しているのです。jujube さんの娘さんの場合は、ハーフであり、bi-racial (2人種)なのでしょうね。それとも、やはり、私のように Multi-racial (多人種)なのでしょうか?また、私は、ハーフ「父親が・・・母親が・・・」だけで充分ですが、「両親両方の」という意味を込めた「ダブル」という言葉の両方で娘さんを育てていらっしゃることも尊重します。
とにもかくにも、私は、人間は人間だと思います。世の中が、人種は異なれど、さらに対等に対話ができるところになることを望みます。
そうですね、娘さんが、ありのままの自分に自信を持てるように支えていってあげてくださいね。私は、アメリカ人の父がいなかったので、アメリカやアメリカ人の事を教えてもらったり、アメリカ人の私に自信を持つことを教わらずに生きてきました。アメリカに留学をして初めて、自分自身が何者なのか分った気持ちがしましたし、アメリカ人としての自分にも誇りを持てるようになりました。
投稿情報: Felicity | 2005年9 月 8日 (木) 16:48
Felicityさん、こんにちは
抽象的な考えを言葉にするのは、なかなか難しいですね。
ダブルもハーフも、きっとひとりひとり、微妙にその捉え方がちがうんだろうなと感じました。
Felicityさんのコメントをいただいて思ったのは、ダブルという言い方であれ、ハーフ(Japaese)&ハーフ(Malian)という言い方であれ、私が言いたいのは同じことなんだな、ということです。
"bi"はラテン語の2を表す言葉からきていますから、bi-racialは、ハーフよりダブルに近いと思ったのですが、仰る理屈もよくわかりました。
それから、フランス語でも、「父は・・・、母は・・・」という言い方が一般的ですね。
妻の母語タマシェク語だと"ereti"という言葉を使います。
これは、「混ざった」という意味ですが、悪いニュアンスはありません。
大陸の中にあり、過去の歴史からさまざまな民族の移動や侵略があったマリでは、父方も母方も、いろいろな民族間の婚姻を経ているのは珍しいことではありません。
私の妻も、ベルベル系(これもヨーロッパからの視点による言葉:ギリシャ語のバルバロイ=蛮族からきています。自分たちではアマッズィグということが多いです)ですが、7世紀のイスラム教の預言者ムハンマド(マホメット)にまで続くアラブの家系図もあります。
要するに純粋にひとつの人種・民族ではありません。
妻の妹は、マンディング系バンバラという民族と結婚しています。
妻の姪はこの前パキスタン人と結婚しました。
私の妹はドイツ系スイス人と結婚しています。
例えば、私の娘と妹の息子が結婚したら、その子供は自分のことをどう説明するんでしょうね?
私が、娘にダブルとかハーフという概念を説明する時、実は、人種とか民族というものはあまり頭においていません。
それは、幻想というか、時代によって変化するものだと思っているからです。
日本人だって、元をたどれば、いろいろな民族が混ざってますよね。
同じ国の中でも、言語や文化の違う両親を持つ子供は、そうやって両親の異なる部分を自分の中で折り合いをつけてきたのでしょう。
その繰り返しと、積み重ねが私の娘であり、私の妹の息子もまたそうです。
属するコミュニティ、国籍、文化、言語・・・そういうものが違う夫婦が一緒に暮らし、幸せを見つけた。
だから、その幸せの中に生まれた娘も、娘なりのやり方でその状況を理解し、それを誇りに思って欲しい。
そう願っています。
結局、言い方はどうあれ、父親と母親の文化、価値観、言葉、国、人種・民族そんないろいろなものの総体として、ひとりの人間たる娘がいるのだ。
それを両親はとても誇りに思っている。
だから君もそれを否定せず、恥じず、自信を持って生きて行って欲しい。
娘に伝えたいのは、それに尽きると思います。
投稿情報: jujube | 2005年9 月 8日 (木) 20:27
jujube さん
はい、抽象的な考えを言葉にするのは、大変です。そして、ダブルもハーフも、きっと1人1人、捉え方が違うんであろうという jujube さんの思想にも同感です。事実、私は、自分をハーフと表現しますが、私と同年齢の友達は、”私達は、ハーフじゃなくてダブルよ、Felicity!”とかなり意固地になって主張します。笑
そして、そうですよね、その文化により、「混ざった」という言葉が悪いニュアンスを持たずに使われていることも想像できます。私自身がそのような文化で生活しているのであれば、「混ざった」と呼ばれても、イヤな気持ちにはならないでしょう、実際に混ざっているのですから。
娘さんにハーフやダブルの概念を説明する時に人種とか民族のお話をしないのですね。私が子供をさずかった時にも、そのようにするでしょう。「あなたは、お父さんとお母さんの子供。自分らしく、輝いていってね。」と。ただ、人種は人種で教えると思います。「あなたは、これと、これと、これを持ち合わせているのよ。あなたが、いつか、自分がその全部だということを分って、その事実に興味を持って、誇りに思ってもらいたいわ。」と。私、自身、アフリカン・アメリカンとネイティブ・アメリカンとヨーロピアン・アメリカンと日本人なので、その全部が合わさって出来あがったこの興味深い容姿や、各々の歴史にとても興味を持ち、誇りに思っていますから。こちらも、その家庭それぞれの子育て方法になりますね。
そして、はい、日本人も元をたどれば、いろいろな民族が混ざっていますね。私は、そのような話しをする機会があると、「日本人も、そもそもは、いろいろな民族が合わさっているんだよね。」と日本人に言うことがあります。日本人は、どれくらいの人か分りませんが、結構多く(?)の人が、「純血」だと思っているように感じます。先日、母に「日本人も・・・」の話しをしたところ、「えっ、そうなの!?」という言葉が返ってき、これには参りました。その点、私は、ハーフなので(または、私の性格かもしれません。好奇心旺盛です。)、小さい頃から色々な人種に興味を持ち、日本人が純血でないことはとっくにしっていました。笑
ここで雑談をさせてください。先日、あるサイトを見たら、「純血」と思っている日本人が、「このままでは雑種が年に○割の率(率を忘れました。)で増える。20年後には、純血の日本人がいなくなる。我が国は、国際結婚を禁止し、生まれてきたハーフは、国外追放するか、処刑すべきだ。」というような記事が掲載されていました。「処刑」という言葉に恐くなりましたし、この記事自体に悲しいものを感じました。それと同時に、こんなことを言っている人の世間知らずさと憐れさを感じました。
最後に jujube さんの言葉を引用させてください。
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結局、言い方はどうあれ、父親と母親の文化、価値観、言葉、国、人種・民族そんないろいろなものの総体として、ひとりの人間たる娘がいるのだ。
それを両親はとても誇りに思っている。
だから君もそれを否定せず、恥じず、自信を持って生きて行って欲しい。
娘に伝えたいのは、それに尽きると思います。
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私も、それに尽きると思います。娘さんの話しだけではなく、世界全体的に。ですから、言葉の使い方で、読む人に与える印象が異なってきてしまうと思いますが、私の言っていることも、さほど jujube さんの仰っていることと異ならないのではないか思います。
1つはっきりと違うのは、娘さんには、jujube さんというお父さんがいて、お母さんもいるということです。悲観的になるつもりはありませんが、私には、父はいませんので、jujube さんのご家庭や jujube さんの妹さんのご家庭のように、両親の総体としての私というものはありません。アメリカに留学して、父の国を見、生活することができたのは、ラッキーなことでしたが。ちなみに、父とは、生まれてから3回しか会ったことがありません。
投稿情報: Felicity | 2005年9 月 9日 (金) 12:23