下のURLは、私の大好きなサイトTerraの、マリの砂嵐の写真です。
Terra: Harmatan" dust storm - Mali - Africa
とても懐かしいです。
砂嵐の写真をみて「懐かしい」というような肯定的な印象はおかしいですか?
確かに、砂漠の中を移動しているときは、車の轍や家畜の足跡がかき消され、困ってしまいます。
命にかかわることもあります。
トンブクトゥから250kmほど北、塩のキャラバンの中継地、タウデニに行った時には、直前で砂嵐に遭い、ラクダが行方不明になり、探しに行った友人のトゥアレグまで一昼夜帰らず大変でした。
結局ラクダは見つからず(数ヶ月後に見つかりました)、帰りは1頭のラクダに二人で乗って帰りました。
キダールの近くでも何度か砂嵐に遭い、砂漠の中で隠れる場所もなく、その後の雨に打たれて中耳炎になってしまったこともあります。
けれど、こういう大きな砂嵐は雨期に発生することが多いものです。
ですから、テントの近くにいるときには、砂嵐を見ると、困った気持ちよりその後の雨を待ち遠しく思います。
遊牧民も、砂嵐をそれほど「天災」という悪いイメージではとらえていないと思います。
砂嵐は、トゥアレグの言葉で「黒い風」とか「赤い風」と言います。
砂の粒子密度が高く、まわりが夜のように真っ黒になるのが「黒い風」です。
こんな砂嵐だと、煤けた鍋釜を放り出しておくと、クレンザーで磨いたようにピカピカになります。
もう少し粒子密度が低いと、まわりの風景が夕焼けみたいに真っ赤になります。
これが「赤い風」です。
こういう砂嵐が過ぎ去ると、すぐにザーッと激しい雨期の大粒の雨が降ってきます。
すると温度が急に下がります。
そして、砂漠の乾いた匂いが、水や草の匂いを含んだもの変わります。
雨が通りすぎると、砂丘の表面がうっすらと固くなり、雨のしるしとして残ります。
砂漠の雨はとても局所的なものです。
「雌牛の片方の角にだけ雨が降っている」
というトゥアレグの諺もあります。
日本の
「夕立は馬の背をわける」
と似ていますね。
隣のキャンプに行ったら表面の渇いた地面を見て、「あ、ここら辺は昨日雨が降ったんだな」とうらやましく思ったりします。
砂嵐は、私にとってはこんな風に雨を想起させる触媒です。
砂嵐の写真
Keld Bach’s Press Cuttings » Blog Archive » Sandstorm at the refugee camp
最近のコメント