南太平洋のチリ領イースター島(公式名・パスクア島)にあるモアイ像に、日本人の男性観光客が名前を彫りつけた疑いで地元警察に逮捕された。
引用元:モアイ像落書き事件に関係者落胆
サヘルでは、幸いなことに貴重な壁画や建築物への心ない落書きはほとんど見た記憶がありません。
ただひとつ、記憶に残っている「落書き」があります。
それは1983年、ニジェールのテネレ砂漠を訪れた時です。
「テネレの木」は、砂漠の中の塩の採取地ビルマからアガデスへの「塩の道」を往き来するラクダのキャラバンのルートにあり、長い年月キャラバンの道標として存在していました。
草一本生えていないテレネ砂漠の中、ほかの木から200km以上も離れた砂漠の中にたった一本生えている木でした。
しかし1973年、トラックにあてられ、折れて枯れてしまいました。
金属の柱が「テネレの木」を記念して立てられました。
現在これが「テネレの木」と呼ばれています。
私がテレネ砂漠を訪れた時、この新しい「テネレの木」は既に10年の時を経ており、その表面には多くの名前が記されていました。
それは遺跡へ落書きとは違い、テネレ砂漠を越えてここまでたどり着いた旅人の記念誌のように見えました。
新しい「テネレの木」は、人々の名を刻まれながら、かつて砂漠のど真ん中にたった一本で生きていた本当の「テネレの木」の記憶を人々の心の中に刻んでいるような気がしました。
1983年撮影
「テネレの木」は今どうなっているでしょう。
今も旅人の名を刻まれ続けているのでしょうか。
あるいは、そこに名前を記すことは禁止されているのでしょうか?
ご存じの方がいらっしゃいましたら教えてください。
追補
枯れてしまった「テネレの木」は、首都ニアメに運ばれ、博物館に保管されています。
かつてテネレ砂漠に生えていた時の写真はここにあります。
Acacia tortilis だったようですね。
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