2003年の夏至、6月22日の夜8時から10時の2時間、みんなでいっせいに電気をけしましょう、という呼びかけでした。
みなさんは参加されたでしょうか?
こういうイベントはけっこう好きなのですが、今回参加することに悩みました。
不祥事の責任の肩代わりをさせられるような気持ちになったからです。
今、不祥事で稼働していない原発が多くあり、この夏、電力が足りなくなる可能性があります。
電力会社自身も率先して節電しているようですが、今回のイベントが、どうも美辞麗句で私たちに節電をさせようとしているものではないかと思えました。
地球環境を考え、私たちの消費志向に警鐘を鳴らすことは常に必要だと思います。
しかしそれがちょうどこの時期であったことで疑心暗鬼が芽生えました。
電力会社がもっとストレートに不祥事の反省を唱え、この夏のリスクを警告していた方が積極的に今回のイベントに参加しようと思ったでしょう。
へそ曲がりの性格から、今回「100万人のキャンドルナイト」には参加しませんでしたが、これを機会に、毎日の生活で節電を、そして節電だけでなく浪費を見直す暮らしを考えていこうと思います。
タイトルにもキャンドルナイトとあり、電気を消すかわりにみなさんロウソクを使われたのでしょうか。
まったく明かりなしでは大変なのでそうなのでしょうね。
しかしサヘルの北部では、石油ランプや懐中電灯に比べてロウソクは意外に使われていません。
とくにテント生活の遊牧民はまずロウソクは使いません。
ロウソクは、停電の時に村や町で使われたりしますが、電気のない地域で日常的に使われることはほとんどありません。
それはロウソクは消耗品であることと、風にとても弱いからでしょう。
でも、テントの中で夜中に探し物をする時、テントのまわりをかこっている葦のような草の茎をロウソク代わりにちょっと燃やしたりすることはあります。
木の枝をそんなふうに使うこともあります。
これはロウソクというより小型の松明に近いでしょうか。
でも、立ち上がれないほどの高さの革や布のテントですから、それが燃えないようにしっかりと気をつけながらこの明かりを使います。
最近は遊牧民の暮らしにも懐中電灯が普及しているので、こんな風景も見なくなってきましたが、「100万人のキャンドルナイト」で、一昔前のサヘルの遊牧民の暮らしを思い出しました。
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